ニューロ・パターン・セラピー実施に関する留意点
An Attention to the Practice of the PCRT

 

 
2012.5.8
カイロプラクティックオフィスSEKI
院長 関 隆一(RYUICHI SEKI)
 
―要旨―
 
日々の臨床で行われる治療法はいくつもあるが、多くは構造理論、すなわち「ハード面」に立脚した筋、骨格、神経系に対するアプローチである。その中で感情や肉眼では不可視なエネルギー、つまり「ソフト面」にフォーカスしたニューロ・パターン・セラピーを「ハード面」中心に知識を得ている患者に対し臨床で実施するに当たり注意するべき点を自分の経験とともに考えてみる。
 
-Abstract-
 
There are so many technique that the doctors use on the daily clinical scene, based on the structural theory which is focused on the muscular-skeleton and neural system, so-called the “hard side”. This paper, with writer’s experience, discusses the point we should notice when we practice the PCRT, so-called the “soft side”, based on our emotion, feeling and the energy which is invisible by naked eye, to the patients who have mainly got the knowledge of the “hard side”.
 
―はじめに―
 
今この時でも世界中で体の異常を訴えて様々な医療機関、クリニックに足を運ぶ人たちは後を絶たない。外傷や病理学的疾患などの組織の損傷や変調を除けば、痛みやシビレなどの違和感、不快感が主訴ではないだろうか。
 
こと日本においても同様であろう。それらの人たちの多くは「構造的」に異常があると考え、病院や接骨院などの医療機関で「構造的」な診断を受けることになる。例えば「膝に痛みがあれば膝に異常がある」と考え「膝の状態」を診断してもらう。つまり因果関係における「結果」を診断してもらうことになる。しかし多くの人は「原因」が何かを望んでいるのではないだろうか。すなわち、「何が原因で当該症状が引き起こされるのか」が焦点になるはずである。しかし現実は患者と診断を下す者との間でギャップが存在しているように思える。その根本原因は「構造的医学知識の偏重」からくる医療従事者の「対症的思考回路の形成」であり、メディア媒体もその内容を信じて疑わず、報道している現状であろう。
 
そのような中で私は幸運にもニューロ・パターン・セラピーに出会うことができた。この「原因」を探ると考えられる治療法は目に見えない「エネルギー・ブロック」を見つけ出し生体エネルギーの流れを正常化するものである。ゆえに誤解や疑いの目を向けられやすい事実もある。しかしながら誰一人として同じ「時間・空間」を100%共有することなど不可能であり、そこから脳へ入力される「情報=刺激」は千差万別である。その結果、入力された情報に基づき出力される、つまり感情や行動が異なってくる。すなわち、「状態=結果」が作られるのである。
 
患者が望む「原因」に深く切り込めるニューロ・パターン・セラピーの導入は治療家にとってもより良い結果を導くことが可能になり、お互いの利益に結び付く。一歩間違えれば誤解を招く恐れのある治療法だが、その導入手順や注意点を考察してみたい。
 
―「ハード面」的手続き―
 
肉体は筋・骨・神経・内臓など一定の情報を共有する細胞が集まった組織の集合体である。つまり物質の集合体である。それぞれの組織がそれぞれの決められた配置にきれいにおさめられている。そしてこれらは第三者が手を加えて作り上げたものではなく、精子と卵子の結合により複雑な情報が共有され、細胞が変化・分化を繰り返し「自然」のうちに作られる。神秘的であり、また神聖であるとさえ思える。肉体の「構造」、つまり「ハード面」の重要性はここに向けられるのではないだろうか。
 
患者が自覚症状を訴えるとき、「肉体を細分化した医療」の専門家の門をたたく。より専門性の高い研究を行い、データを蓄積しているので、詳細に自らの肉体を検査してもらえる期待をしてしまうのは自然な成り行きである。
 
「―はじめに―」でも記したが、病理学的・組織的変調を除き、一般的愁訴である痛みや凝り感、シビレなどの症状は臨床的に医療機関に該当しないことが圧倒的に多い。それ故にここに大きなギャップが存在する。
 
一般患者は当然医学的知識の欠如により、ほぼ丸投げの状態で医療機関にその身を委ねる。しかし当該医療機関では「機能的」診断はほとんど行われておらず、「原因」の追究ではなく「症状=結果」への対処で処理されることになる。診断を下す者は数万という病名の中から「主観的」に該当する病名を当てはめてゆかねばならず、考えただけでも気の遠くなる作業である。
 
この作業にもギャップを生む隠れた原因が存在するのではないだろうか。つまり「確率」という問題である。
 
「構造的」に体を診るのは伝統的西洋医学の医師だけではない。整骨師やカイロプラクターも同様である。しかし医師は数万の病名から診断を下さねばならぬのに対し、整骨師やカイロプラクターはいわゆる「歪み」や「サブラクセーション」に着眼すれば、一応「スジの通った治療」を完了できる。全身の「歪み」や「サブラクセーション」などは多くても全身の関節の数だけであり、数万の病名に対して圧倒的に少数の中からの選択で済むのである。つまり病名を扱う医師はその確率に於いて非常にシビアであり、困難であることが容易に想像できる。どれほどの検査データを基に診断を下さねばならないのか、また時間的にも制約があり「原因」の究明には難しいものがあるのではないだろうか。つまり医師の診断が一方的であり、患者は完全に受け身にならざるを得ない。正解を導くまでの「確率」が非常に厳しいのである。
 
整骨師やカイロプラクターが行う「歪み」や「サブラクセーション」の決定で着眼しなければならない重要事項は「主観的」か「客観的」か、ではないだろうか。
 
※【主観的】
「主観による価値を第一に重んずるさま。主観に基づくさま。」
「俗に、自分ひとりの考え方や感じ方にかたよる態度であること。」
※【客観的】
「特定の個人的主観の考えや評価から独立して、普遍性をもっていること。」
(広辞苑 第五版より抜粋)
 
一般的カイロプラクターを例にとると、その検査は検者が関節の可動域や静的触診などによる「主観的」なものと整形外科的検査や神経学的検査など患者の反応を基にする「客観的」なものに分けられる。前者はカイロプラクティック独自に体系化されたものである。後者は伝統的西洋医学の分野でも用いられている共通の検査法である。臨床の現場に於いて、まずは「客観的」な整形学的検査や神経学的検査を行い患側や健側の決定や状態の把握、そして患者に正常と異常を感じさせ認識させることから始めることが多い。その後、アジャストメントする関節の決定のために筋の緊張具合や関節の可動性など「主観的」な検査が行われるのである。つまり患者に「客観的」な検査によるできるだけ正確な、且つ多くの「情報」を与えることができなくなり、一方的になりがちである。この時点で既に患者の「存在」は消えていると思われる。つまり患者と検者の間には「客観的」な関係と「主観的」な関係が同時に存在するが、最終的には検者の「主観的」な判断により治療が完結するわけである。以上から「ハード面」の治療には『患者<検者』の構図が色濃く浮かんでくる(但し、アクティベータ・メソッドなど一部はこれに該当はしないと思われる)。これらのことが患者と「構造的」側面から捉えて検査を行う者とのギャップの形成に関与することは理解に難しくないのではないだろうか。
 
―「ソフト面」的手続き―
 
現場でのニューロ・パターン・セラピーの進め方は特徴的である。検査法、治療法などが非常に多岐にわたりすべてを論じることは不可能に近い。なぜならば、ニューロ・パターン・セラピーは現在進行形で創始者である保井志之氏により研究・発展が続けられているからに他ならない。ここでは私の臨床的経験により利用している主な検査法と治療法の中から幾つかを取り上げることにする。
 
ニューロ・パターン・セラピーは特に生体エネルギーにファーカスしている。このエネルギーは肉眼では不可視であるが、近年の医療検査装置ではこれを数値化したり、ビジュアル化することが可能である。しかし臨床的にこれらの装置を用いるのは法的、資金的、空間的な制約により現実的ではなく、実践者の検査能力に依存している。
 
【筋力抵抗検査法】
主に検査対象部位でエネルギー的に異常があればα運動ニューロンが十分に賦活されずに筋力が一時的に低下し、反応が現れる。
 
【背臥位下肢検査法】
患者を仰向けにし、足の甲と底を軽く把握し筋の緊張具合を検査する。患者のエネルギー反応があれば腓腹筋のトーンに変化が現れ左右の足が揃わなくなり不一致を確認することができる。
 
【フィンガー抵抗検査】
検者の示指と中指の二本をお互いに抵抗させ、それらの指の筋力が減弱することでエネルギー的に異常があるのか判断できる。
 
【言語神経反射検査】
『ニューロ・パターン・セラピーでは「身体に聞く」という感じで「言語神経反射検査」という特殊な検査法を行います。人間の身体は、言語情報(波動)に対して微妙に神経反射反応を示す性質があります。言語=波動=エネルギーという捉え方をすると、神経細胞をつなぐシナプスにおいて、言語=神経情報によるエネルギー変換が生じると考えられます。』
 
『例えば、言語神経反射検査法を用いて、五感情報に関する検査を行う際、患者の身体を使って、視覚、聴覚、体感覚・・・などの言語情報を発して言語神経反射検査を行います。もしも、患者の身体が「緊張パターン」に関係する言語情報に共鳴すると、患者の身体は神経反射反応を介して、陽性反応を示します。』
 

(2012年Basic1テキストより抜粋)

 
【感情チャートと五感パターン分析】
 
予め細分化された感情や五感情報を、言語神経反射検査を用いて探していく。検者は一つ一つイメージをしたり、あえて患者の聴覚刺激を利用して情報を与えて神経反射をとらえて特定をする分析法。
 
「フィンガー抵抗検査」を除き、これらの検査法・分析法は患者の脳からの出力を読み取り判断するもので、整形外科的検査や神経学的検査同様に患者主体の「客観的」現象が認められる。また感情チャートや五感パターンから引き出された「キーワード」を患者に提供し、患者が自ら「キーワード」を基に該当する出来事や事柄を探してゆく。その結果正しければ反応が認められ、正しくなければ反応が認められない。更にフィンガー抵抗検査や下肢筋力抵抗検査を同時に用いることで、ダブルチェック、トリプルチェックと更なる「客観的」反応を高めることができるのである。
 
上記の検査法に基づき、患者に対する治療が行われる。生体エネルギーの状態の改善を目的として様々な刺激を脳に入力する。
 
『ニューロ・パターン・セラピーでいう“エネルギー”とは、“情報”であり、“波長や周波数”という言葉と同義的にとらえます。量子力学では、物質の最小単位まで追究してゆくと、「すべての物質は粒子であり波である。」と言われています。量子力学的に身体や健康を考えると、肉体=エネルギー=波動=振動=周波数=情報という概念が符合します。量子物理学的な観点からいうと、物質自体も究極的には、“波長や周波数”であり“エネルギー”や“情報”として考えることができます。』
 

(2012年Basic1テキストより抜粋)

 
生体エネルギーの状態の変換には触覚や圧覚などの受容器に軽微な刺激を加える方法や、鼓膜振動により刺激を加える方法など五感からの入力する方法がある。またその刺激を入力する際、患者と検者との「共同作業」により導き出される「客観性」が認められる検査情報に基づきそのまま行われるので、検者の「主観性」は排除されていると解釈するのが妥当である。
 
―信頼関係―
 
患者と検者との間の「客観性」を高めるために、その背景にあるのは「有機的」な「協力関係」である。患者が検者からの情報を脳に入力し前頭葉と側頭葉の連絡を最大限活用させ、結果的に出力された神経反応を検者が確認する。つまりお互いの「存在」を認め合い情報を交換している、すなわち不可視な「エネルギーの交換」が行われていることを示している。「空間」と「時間」を共有し同じ方向に進むために、つまり「原因」を探す「共同作業」が行われるのである。
 
しかし「空間」と「時間」を共有しながら患者と検者が「エネルギーの交換」が十分に行われないこともしばしば認められる。すなわち「信頼関係」の不完全性である。
 
患者も検者も一人の人間として時間を重ね、外界からの様々な情報を脳に入力して「主義、主張、価値観、性格、趣味、人格」などを形成してきている。検者は患者が自分のオフィスに来院すればお互いの公約数である「治癒」に向け患者から様々な情報を引出し、その可能性を高めてゆくに違いない。ただし患者が望む「治癒のレベル」、そこまでの「プロセス(治療法、通院頻度、料金など)」を検者が読み間違えるとギャップが発生し、患者は検者に対し「不信感」を抱くようになる。「不信感」を抱けば治療効果も十分に認められなくなり、検者の「治癒」への想いだけが空回りすることになる。
 
「信頼関係」の構築には様々な要素が不可欠である。個人的な見解になるが以下に主な要素を列挙してみる。
 
(対話)
つまり意志の疎通に不可欠な言語的エネルギーの交換である。検者は対話によって情報を引出し、その情報を基づき対応の仕方を考えることができる。
 
(検査法)
患者の体の「何処」に「何」が隠れているのか見つけ出さなければならない。そのためには検査の「数・種類」と「正確性」が要求される。検者の診断能力の優劣により患者にインパクトを与えることができ、引き付けることが可能になる。
 
(治療プラン)
的確な診断と治療により必然的に良い結果が導き出せる。患者は良い結果により検者に多少なりとも心を開く。そのときに当該患者に相応しいプランを提供し、患者がそれを受け入れれば更なる良好な結果を導き出せる。当然患者は変化を感じるので、より良い関係を築きやすくなる。
 
(決断力)
人間が人間を診る以上、限界がある。地球上に「医療」が誕生して以来、誰一人として「人間のすべてを理解し極めた者」は存在しない。携わる者の全員が発展途上なのである。その中で「習熟度」や「志の高さ」に差があるだけである。言い換えれば、検者の一人一人にレベルがあり、検者はできるだけ正確に自分のレベルを理解することが大切である。自分のレベルを超越する患者に対して「何ができて、何ができないのか」という点で自分を見つめることが必要であろう。暗中模索や当てずっぽうでは「人体実験」に等しい行為になるであろうことは明白である。患者は「生体」であることを忘れてはならない。エネルギーを有する「有機体」であり、「命」があるのである。診断上、対応が困難であれば自分よりもレベルの高い検者や自分よりもレベルは同等かそれ以下であるが、該当分野に関してより専門性の高い知識を有し対応が可能な検者に紹介する決断力が必要とされる場合があると感じる次第である。
 
以上の要件を常に意識し最大限実践することで患者との良好な関係が築けるであろうし、私自身もそのような結果を何度も経験している。検者が患者に対し意識を集中し全力で取り組めばそれが脳から出力される「行為=結果」になる。患者は検者のエネルギーを正確に読み取り、感情や考えを処理して次なる行動を計画し実行に移すのである。つまり患者が検者に対しエネルギーを投下するのか否か決定するのである。エネルギーの投下を決定すれば、患者が検者を認めることになる。患者が検者を認め、検者が患者を認める、つまり「存在」と「存在」が同じ「空間」に「存在」し、エネルギー(=物質)の交換が「有機的」に行われてこそ、「信頼関係」が構築され十分な効果が期待できると考えられる。
 
※【有機的】
「有機体のように、多くの部分が集まって一個の物を作り、その各部分の間に緊密な統一があって、部分と全体とが必然的関係を有しているさま。」
※【有機体】
「生活機能をもつように組織された物質系。すなわち生物を他の物質系と区別していう語。」
「多くの部分が一つに組織され、その各部分が一定の目的の下に統一され、部分と全体とが必然的関係を有するもの。自然的なものとの類推で、社会的なものにも用いる。」
(広辞苑 第五版より抜粋)
 
―ニューロ・パターン・セラピー導入時のミス―
 
一方で、確かに「信頼関係」は重要な要素であるが、それ一点に気を取られているとミスを犯す危険性もある。私が経験した一例を挙げてみる。
 
5年以上通院している夫婦(夫40代、妻30代)がいる。二人とも私からみて性格は悪くなく笑顔を絶やさず、夫婦間も仲が良いと感じる。私たち家族とも会えば日常会話を交わし関係は良好と思える。現在は一か月に一回メンテナンスで通院しているが、夫が毎回右膝の痛みを訴える。アクティベータ・メソッドや機能神経学的アプローチで症状は取れるがぶり返すのである。あるとき思い余って、日常に原因があることを説明した。本人も「なるほど!」と納得した。アクティベータ・メソッドで一通りチェックし、その後にニューロ・パターン・セラピーに入っていった。パターン分析で「五感」で反応を示し、関連情報を引出してそのキーワードを本人に伝えた。具体性に欠いていたので「感情」レベルでも調べて補足した。本人はなかなかイメージが定まらず苦慮していた。すると「心を覗かれているようで、私には無理です。納得したのにすいません。」と突然言い出した。こちらも患者が中止を希望しているのでそれに従った。ただ、急に終了しては「場」が悪かったので、アクティベータ・メソッドに戻りTMJのチェックをした。結果はいつも通り症状は無くなっていた。
 
彼らの帰宅後、「なぜ途中でやめたのか」色々考えてみた。一つは時系列で「10代後半」というかなり古い時期だったことで、なかなかイメージがしにくかったのではないかということ。次に、ネガティブな感情で反応したので、本人が思い出したくなかったのではないかということ。更に彼の妻も同席していたので、余計にその思いが増幅したのではということ。または「納得した」と言っても心のどこかで「腑に落ちなかった」のではないかということ。かなり考え込んだが、これらの事しか該当しなかったように思える。
 
私は「信頼関係」という基に気配りが出来ていなかったのだろう。彼の性格を大体理解していたはずなのに十分ではなかったのかもしれない。はたまた、「信頼関係」を築いていると思っているのは自分だけで、実際は違っていたのかもしれない。
 
現時点で、未だに解答にたどり着いていないが、一つ言えるのは、今後これらの可能性を心にとめて臨床に挑まなければならないことである。怠れば同じ失敗を繰り返し、それこそ本当に「信頼関係」を壊す危険性がある。
 
―臨床現場にて―
 
同じ「空間」で患者と「共同作業」を行う場合でも臨床現場では検者が「リード」しなければ「事象」がスムーズに進んでいくことは難しい。なぜならば患者が検者に身を委ねる事実は「ハード面」でも「ソフト面」でも変わりはないからである。検者が患者を「リード」できるかにはいくつかの要素があると思う。
 
{C}① 「人間性」。態度や身なりや言葉使いなど検者が出力することを患者はその感性により敏感に感じ取る。出力されるエネルギーが受け方のエネルギーに抵触すれば、それこそ瞬時に撃沈されることであろう。
 
{C}② 「環境」。初めての「空間」が自分にとって快適か快適でないかは大きな要素であろう。その中で「臭い」は重要である。我々動物はエネルギーを摂取するには「食べ物」が不可欠である。その「食べ物」が摂取するにあたり可能か否か、また自分に害を及ぼす危険性があるのかなど動物的本能で臭いを嗅ぐ習性がある。特に初めての「空間」で緊張状態であるにも関わらず、自分にとって「危険性」を誘発するような臭いを感じればそれこそ緊張し、心を許すどころではなくなるであろう。
 
「視覚情報」も重要である。①にも通じるが、身なりがだらしないか、白衣やプレスの効いたドレスシャツを身にまとうかではインパクトは大きく変わるであろう。またオフィスが整理整頓されているか否かでも直接視覚に訴えてくるので要注意である。
 
{C}③ 「専門的知識」。メディアを通して様々な医療情報、健康情報を入手できる時代である。冒頭でも記したが、メディアの情報は「有機的」な側面から判断すると間違っているような内容でもそれが正しい情報になってしまうのは残念なことだが、その情報を一般人が得ているので、検者が知らないのでは話にならない。大方の患者が求めているのは(間違った情報を基にしていても)、「なぜ」の部分の「原因」であろう。我々は教育機関で大抵の「機械的構造理論」は叩き込んでいるが、問題はその先にある。患者は「有機的」な医療・健康情報を得る機会がほとんどないと言っていい。そのために「有機的」判断などできるわけがない。そこで我々が得た「有機的」な情報を患者に提供していかなければならないのである。つまり現代の伝統的西洋医学的解釈ではなく、ニューロ・パターン・セラピー的な更なる専門性の高い知識のことである。しかし実際に「機械的構造理論」と「エネルギー的理論」との間には大きなギャップが存在する。これを埋めるのは両者に関わる「機能的脳・神経系理論」であると私は考える。なぜならば、「脳・神経系」は「構造理論」においても重要な要素であるし、「エネルギー的理論」でもその中心部分は「脳・神経系の働き」である。ニューロ・パターン・セラピーはその構造的分析や解釈ではなく「働き=機能」にフォーカスされているはずである。より詳細なニューロンの働き、伝達経路、様々な器官の運動時の機能的分析がヒントになるのではないだろうか。つまり「どの部位(=構造)」の「何(=構造と機能)」が「どのように(=機能とエネルギー)」関係しているかを説明することで、「構造的」側面からスムーズに「エネルギー的」側面に繋げることが可能になる。説明を受ける側も無理なく理解できるのではないだろうか。特に私が実感できるのは「機能神経学的検査」を導入することでニューロ・パターン・セラピーの効果を患者が受け入れやすくなっていることである。
 
数多くある中で例を挙げると「小脳機能検査」であろう。動きが散漫な状態から「エネルギー的」治療を進めて再度検査を行うと、動きが滑らかになり大きく変化するので、その後の「脳」の説明から「その機能」へ、そして「エネルギー」に話が進めやすくなるのである。
 
―まとめとして―
 
ニューロ・パターン・セラピーを取り入れてから自分の中で何かが変わったことに気が付いたことがあった。それは「本質」に気が付いた自分だった。治療法や患者と検査との関係性など気が付いてもよさそうな事だったが、出会う前はそれに気が付かなかった。例えば「サブラクセーション」。カイロプラクターは「サブラクセーション」を見つけ出しそれだけを治療する。他はやる必要がない。これがすべてだと思っていた。しかしこの「サブラクセーション」だけ治療していても良くなる患者もいれば、良くならない患者もいる。この良くならない患者の「原因」は何だろうか? 私はカイロプラクターとしてではなく、一人の治療家として考えていた。結局「サブラクセーション」は「原因」ではなく「結果」に過ぎなかったのである。これに気が付いてから臨床での取り組み方が大きく変化したことを今でも覚えている。
 
患者にこの「本質」をどのようにわかりやすく伝えることができるのか。未だにその対応に苦慮して己の勉強不足を痛感している。そのような私ではあるが、治療家としての「軸」が定まってきたのを感じることが多くなった。世の中様々な治療法があり、また開発されている。その中でも「本質」と呼べる治療法はいくつあるのだろうか? 患者の「存在」を「客観的」に明らかにして同一の「空間」で「共同作業」を進めてゆく。このことを気付かせてくれたのはニューロ・パターン・セラピーである。
 
当たり前のことだが、患者がいて我々がいる。つまり我々のraison d’etreは「普遍的」なものなのである。「普遍的」なことを考察することは、すなわち、「哲学的」考察である。常に我々は「哲学的」な環境の中にいて真理を見つけようともがいているのである。
 
ニューロ・パターン・セラピーは「結果」ではなく「原因」を追究している治療法である。故に治療の「普遍的」な部分に着眼しており、その「普遍的」部分である、「存在」、「空間」、「時間」を包括しており、それらの関係性を解き明かすことが可能な、現時点で唯一の治療法であると解釈できるのではないだろうか。これからの更なる発展に期待を寄せずにはいられない。またニューロ・パターン・セラピーが先陣を切り、次世代の医療の統合化に貢献できるのを切に希望する次第である。
 
―おわりに―
 
今回この内容に絞り作成プロセスを振り返ると記述容量がかなりあり、相当な量を削らなければならなかったのが私としては少々心残りである。しかし逆に考えれば既定の文字数に収めることができない自分の未熟さを改めて感じることができた。また同時にニューロ・パターン・セラピーを日々使っている者がニューロ・パターン・セラピー的に思考していく大切さを気付かせてくれて、治療家として本当に有難いことこの上ない。創始者である保井志之氏の現在までの不断の研究心に対する尊敬の念とこれからの期待を込めて、先人が残した3つの言葉を送りたい。
 
“To be great is to be misunderstood.”
 
“Coming together is a beginning.”
“Keeping together is progress.”
“Working together is success.”
 
“Success depends upon desire backed by will, expressed in intelligent and persistent action.”
 

-B.J.Palmer